2013年10月15日

前園さん、いらっしゃーい!

前園氏 1年前にも飲酒トラブル…涙の謝罪「酒断つ」
タクシー運転手に暴行して警視庁玉川署に逮捕されたサッカー元日本代表の前園真聖氏(39)が一夜明けた14日、処分保留で釈放され、都内で会見した。被害者との示談が成立した前園氏は目に涙を浮かべ「やってはいけないことをやってしまった。申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げて謝罪。昨年10月にも飲酒トラブルを起こしていたことを明かし「酒は断つ」と誓った。(記事:スポーツアネックス)

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普段は家で一滴も飲まないとおっしゃっているようです。去年の10月にもやらかしているんですよね。疑うべきではありませんか?アルコール依存症。異常酩酊も私たち断酒会のカテゴリです。公にしていない酒のトラブルは、もっともっと?タクシー運転手の首を絞めて、そのまま警察署に乗りつけられた。とか、交番の電話にいたずらをして始末書を書いた。とか、飲んで朝、目が覚めたら留置所だった、何も覚えていない。とか、飲んで、その世界の人と喧嘩になり日本刀を突き付けられた。とか・・・。我が会の武勇伝とそっくりですね。「涙の謝罪、酒断つ」と誓ったのならご入会はいかがでしょうか?捕まったのが玉川署ですか、高津の例会がお近くです。(パパラッチカサハラ)
posted by カワダン at 14:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月10日

くたばれ!断酒会

東京断酒会の60周年記念大会で、元東京断酒新生会会長の立木鐵太郎さんの講演の中で「くたばれ!断酒会」という昔話が語られました。森岡洋先生が東京多摩断酒会10周年の記念誌に寄稿した記事のお話でした。森岡先生といえば、川崎断酒新生会の初代主治医みたいな存在です。会員も、家族も大変お世話になりました。

今日は藤谷さんから、昭和59年春号の「友愛」をお借りできました。この中で森岡先生の記事が紹介されているので、全文を掲載したいと思います。タイトルは「くたばれ!断酒会」と辛辣ですが、内容は断酒会への励ましと期待でいっぱいであること、と、カサハラは読みました。参考にすべきとこは昭和59年も、平成の今もいっしょです。反省すべきとこは反省し、良い断酒会で、実のある例会が開かれるための「教え」のひとつとしてお読みください。


くたばれ!断酒会
多摩川病院 医長 森岡洋(昭和59年当時)

 日本に断酒会ができて、四分の一世紀以上になった。その間に断酒会は、ほぼ全国に広まった。十年以上の歴史を持つ会も多くなった。しかし、断酒会は長く続けばよいというものではない。入会して酒をやめて新しい人生を築いていく人がどんどん出てくるような会こそ良い会であるといえる。
ところが10年近い断酒会の会員構成を聞いて、時々驚くことがある。8割近い人たちが入会して1、2年の人たちで、3年目から上の人が、1年に0から2人という会もあるのである。つまり新人会員がほとんど育たず、入会してもほとんどの人が1、2年で脱落してしまっているのである。このような会では少数メンバーが固定していて、あとは会に定着しないで、入会しては消えていく人たちが大部分を占めるのである。入会者は多いが、ほとんど成功者が出ないということである。
 何故こんなことになるのかというと、多分、新入会員に対する配慮が乏しいからであろう。長く断酒している会員が先生みたいになって、新入会員にあれこれ助言したり忠告したり、時には親分が子分に対するように怒鳴りつけたりする。そして初めて来た人は、古い人たちは自分とは違った偉い人たちだと思ってしまう。断酒会には、新入会員こそ先生であるという、大変意味深い言葉があるが、それが本当に生きている会は、極めて少ないのではないだろうか。
 断酒歴の長い人たちが、マンネリに陥り真剣さを失ってしまった会も新入会員には魅力がないだろう。初めて会に出席した本人や家族は、なんとかして酒害から立ち直ろうと必死の思いである。しかし古い人に私語が多かったり、新しい人の話を真面目に聞く姿勢が乏しかったりすることも、断酒会ではよく経験することである。また本当に苦しんでる人が、何かつかもうとやってきているのに、断酒とはおよそ関係のない世間話で時間を浪費することもある。古い人が先生面をするようになったり、真剣さが無くなったりするのは何故だろうか。それは自分の正直な体験談、とくに飲んでいた時の体験談が語られないからである。飲んでいた時の体験談は皆そう変わらない。同じ病気にかかり、皆同じことをするからである。だから初めて来た人も、そこに自分と同じことをしてきた人を見出してほっとするし、その同じような人が酒をやめているのを見て、断酒の希望を持つこともできるのである。同時に断酒歴の長い人は、その長さを理由にして、自分は飲んでいる人とは違うのだという、妙な差別感に陥らなくて済むのである。また、正直な体験談はいつ何度聞いても飽きないものである。皆が真実極まりない体験談をすること、これが断酒会がマンネリになって生命を失ってしまうことを防止す唯一の方法であろう。
 会員数があまりに増えて、一人が話す時間が少なく、断酒会での話が通り一辺の表面的なものになってしまうような会も、新入会員が育たない。1つの会の出席者は20名を越えないことが望ましい。この点東京断酒会は、例会の人数が多すぎる。東京では各支部が独立して、1つの断酒会をつくり、独自の少人数の例会をつくるべきだと思う。そうすれば都内での例会の数は、現在の数倍になるだろう。現在のような各支部から大勢の人を集めて行うような会は、年に1、2回で十分である。
 また、家族がおろそかにされるような会はあまり発展性がない。アルコール症は家族全体の病であり、家族の回復も重要な問題である。だから家族が断酒会のお茶くみだけでは困る。家族も主役になって言いたいことが言え、回復していく会であってほしい。ところが現実には、7、8年も断酒会に出ている家族でも病気についてよくわからず、少しも回復していない人が多い。このような人は、また本人が飲酒た場合、8年前と全く同じ混乱に陥る。断酒会では家族が自分の気持ちを話すと、もっと、本人のことを理解してとか、あなたも病気だとか非難するだけで、それ以上何もしないことが多い。これでは家族の回復はむずかしい。
 次に他の断酒会との交流に乏しい、たこつぼ的断酒会も長年の間には、自己改革を忘れて独善に陥り生命を失ってしまう。関東の断酒会は、もっと関西や高知などの断酒会と交流を持つべきである。それによって学ぶことがずいぶんあると思う。とくに松村断酒学校や山陰断酒学校などへの出席をおすすめしたいと思う。
 医師としては、マンネリに陥って回復者のほとんどでなくなったような断酒会は削減してしまってもかまわないと思う。もちろんこのことはアルコール症を治療する病院においても同じである。

posted by カワダン at 12:55| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月02日

東京断酒新生会60周年記念大会

9月29日の日曜日、東京の記念大会に参加してきました。
さすが東京、内容はもちろん運営も手慣れているというか
洗練されているなあという印象がまず第一でした。

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特に上智大学の岡先生の講演には感銘しました。大変失礼な話ですが、当日カサハラは朝方まで眠ることができず、大きな睡魔と戦闘中ではあったのですが、岡先生の話は心を快晴にさせてくれるものでした。
というのも「断酒」に「依存症」に、取り組むに自分に対して、いくつか疑問があり、どうもスッキリしなかったのですが、今回のお話で、自分を納得させることができました。

◇最初、断酒会の取り組む断酒とは、医学的な治療ではなく「魂の問題」「スピリチュアリティ」と聞いた時は、怪しいというか、騙されているというか、よくわからないというか、自分の中でしっくりこなかった。
でも、それを「断酒の道」と、言い変えて教えていただいた時、自分の中でいろいろなモノに整理がついたのです。スッキリしたのです。そういうことだったのか。と思えました。書道、茶道、仏道、剣道、柔道、断酒道・・・・。自分を改革する!の、イメージが湧いてきました。

すみません。詳しくは少し時間をおいてからレポートさせていただきます。いま時間ありません。
でも、断酒道っていいなあ。

(カサハラ)
posted by カワダン at 15:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする